久しぶりのブログ
パソコンのファイルを整理していたところ、本当に好きな女の子の性器を自分が目にする初女性器にするのだという信条を定めていた男の子にすったもんだで本当に好きな子ができて、いざことに及ぼうとするも可憐な彼女の性器からおじさんが出てくる……という話のプロットと書き出しが出てきました。なにこれ?
心身ともにあまり健康な状態でなかったことが伺えます。
面白サブカル美少女になりたかったのかな?なんにも面白くねえぞ!!!
いや、でも実際わたしはインターネットで褒められたかった。
所謂サブカル女子にカテゴライズされて、かわいさや才能でちやほやされたかった。
ゴリラになる前のわたしは、ミドリという名前で自分撮りをあげたり、彼氏の悩みや性に関することを綴る(綴る、という言い回しもポイントです)するだけアカウントでした。
就職し、一発目に入社した会社になかなかインパクトがあった為、当時ツイッターで流行っていた社畜ネタに便乗したところ、フォロワーのとても多い方にRTし貰ったおかげで100人に満たなかったフォロワーが少し増えました。それがきっかけで増えた数字は微々たるものでしたが、リア友のあの子よりこの子よりも多い人数になりました。
RT先に行くと、自分が書いた文章に対する感想を書いてくれている人も結構いてすごく嬉しかったことを覚えています。
それによって、わたしの自己顕示欲が満たされたかと言うとNOです。
それよりも、文章を書いているのにフォロワーが伸びない……ネタツイしなきゃ!と当時付き合っていた男の子のことを赤裸々に書き散らしてたりと最悪な感じになっていました。
本当に自分にビンタしてやりたいし、彼に申し訳がないことをしていたと今は思います。ただ、当時は「認められたい」「フォロワーを増やしたい」という気持ちに支配され、そういった自己を肥大化させた上で承認を求め続けるという行動が、どんどん苦しみを生み出していくということに全然気が付きませんでした。
私生活は仕事によってどんづまりになり、(仕事をそういう状態にまで持って行ったのは自分の責任ですが、当時は人のせいにしていました)彼氏とも別れて訳のわからない人間関係に自分から溺れていき、最終的にたどり着いたのが「深夜の連投」というツイートの形でした。
深夜、あまつさえ物理的に暗い時間帯に暗い暗い私生活や性生活の内容をつらつらと書いていくこの作業は、無意識のうちにさらにわたしの気持ちを追い詰めていくことになります。
ここで、「悩んでるわたし、かっこいいって思ってるって思われてないかな……」という地獄のスタートです。
深夜に連投するツイートの内容自体は、確かにわたしが思っていることでした。でも、何にも考えずに呟いているので、実際に付き合いのある人間からしてみれば普通に心配になるような内容の連続。呟きをみた友人に心配されるたびに、「かまってちゃんだと思われる!」「でもツイートはやめられない……誰にも相談できないし、つらい」みたいなクソOFクソな状況を自ら作り出していました。
お酒もやめられないし、夜は考えすぎて全然寝付けない!みたいな状態が改善していくきかっけになったのは、仕事をやめて実家に帰ったことでした。ここに関してはいつか家族の話をするときに書けたらいいなと思います。
自認や自分が持つ性欲や自己顕示欲とうまく付き合えずに、未だに苦しむことのあるわたしですが、そういったこじれた部分でうおおお!いっそ殺してくれ頼むとなっているのは自分だけではない、むしろ尊敬するあの人やこの人も、そういった部分を乗り越えたり昇華させたりしているんだという事に、恥ずかしながら実家で過ごしたこの一年で気が付きました。
友人たちと話すこと、みんなの悩みを聞くこと、色々な本を読むこと、すすめられた映画をみてみること、尊敬する人のエッセイを読むこと。そういった「他者」を取り入れる行によって、この一年で自分を見ている自分の呪縛からかなり解放されました。
自分を見ている自分を見ている存在、つまり俯瞰は必要なことかもとは思うのですが、わたしには圧倒的に「他者」という存在が欠けていたのです。
俯瞰ONLYは普通に頭おかしくなると思うのでやめた方がいいと思います。
ある程度必要なことだけど、突き詰めてくと迷宮にぶち当たってしまうからです。(自分を見ている自分をみている自分と更にそれらを見ている自分で意見が分かれてしまい、好きなものを嫌いになったりしました)
人からどう見られるかめちゃくちゃ気にするのに、ファッション雑誌にコンプレックスを感じてしまい、どうしても読むことが出来なかった高校生でしたが、ようやっと色んな意見を踏まえたうえで自分がどんな服を着るのか考えてみるということが出来るような女の子になれたと思います。好きな服を着ていいんだ!かわいい女の子の真似をしてもいいんだ!すっげーーーーー楽!笑
悩む自分をかっこいいと思っている自分が実はクソダサいけどそういうのを達観して俯瞰で悩んでいる自分かっこいい!でもクソダサい!俯瞰?卑屈なだけじゃない?の輪廻から解放されたわたしは今めちゃくちゃに自由です。
心にしこりは残っているし、まだまだ色々な事を考えてしまうし、友だちには告白しろしろと言う癖に自分は好きな人に一切グイグイいけなかったりと、矛盾やもやもやはありますが、自分の事をひとつ認めてあげることができただけで、前よりずいぶん色々なことがスムーズになりました。
あと、以前は陰鬱な気持ちの時しか文章が書けなかったのですが、ハッピーな今日、試しに書いてみたら出来はともかくとしてある程度の長さの文章が書けたので嬉しくなってます。ネガティブなものに宿るパワーも信じてるけど、好きなものを好きだといったりするポジティブなことに宿る力も信じられるようになりました。どっちもあっていいいんだ。どっちも信じていていいんだ!
ここに書いたから、今夜は深夜に連投せずに済みそうです。
友人たちよ、わたしは元気だよ!今週末遊ぼうね!笑
夢のはなし
煌めきのブログ
てげてげなブログ
23歳を迎える準備ブログ
最近、知人の知人のすごいイケメン(他人)と同じ誕生日だと知りました。
(ジャニーズの小山慶一郎さんも同じ誕生日です。自慢です。)
正直めちゃめちゃ興奮しました(?)神様の不平等すげえ!みたいな。同じ星のもとに生まれてこの仕打ちか???おん???
さらにキモさを加速させる補足をしますと、その情報は本人に聞いたわけではなくて、知人経由で耳にしたものです。間違ってるかもしれない。あとそのイケメンと特に親しいという訳ではないので、本人がこれをうっかり目にしてしまった場合めちゃくちゃキモがられませんか?わたし大丈夫かな?
すごい脱線しましたが、今年の誕生日で23歳になります。
17歳の時は20歳になったら死んでると思ってました。
「20歳とかババアwwwww」みたいなことを、出始めのLINEで友達とやり取りしていました。22歳まで生きてみると、そんな友人がお母さんになったりしています。あと20歳は全然ババアじゃない謝れ。
20歳の時は、色んな人から「今みたいな生き方が出来るは23歳か25歳までだからな」と言われまくりました。
みんなから言われるからそうなのかもしれませんが、実際よくわからない(考えない)まま23歳を迎えようとしています。
21歳の時は、お腹についてきた肉を当時の彼氏につままれ、「今のうちに鍛えとかないとぶよぶよになるよ」と脅されました。
これは実際にそうでした。ぶよぶよです。
23歳を迎えるにあたって、心身ともに健康になるぞという目標を立てて、このブログを再開しました。
とりあえず誕生日である5月1日にむけて目標を定めて日常をおくろうと考えています。
わたしの頭の中の健康な部分が「とりあえず筋トレ」とびんびん電波を送ってきているのですが、それ以外にも「あれが効いたよ!」「これがおすすめだよ!」「これに挑戦しろ!」などあれば是非教えて頂きたいです。参考にします!
身体だけでなく、心の健康も安定させるようにしていきたいので、そちら側のアドバイスも頂けると嬉しいです!
Nちゃんの話とかブログ
Nちゃんという友達がいます。
わたしの中の「この人には恩があるベスト100」に確実に食い込む人物です。
この記事でも少し触れてるんですが、わたし小学生のときはジャイアンみたいな性格だったので、本人は気にしていなくてもめちゃくちゃに浮きまくっていて、そんなわたしを何かと気にしてくれるのがNちゃんでした。
Nちゃんは、昼から学校にくるわたしに、「おはよう」と挨拶をしてくれる数少ない人間でした。
当時それに結構励まされていたのですが、学生時代同じグループになった覚えは一度もなく、というか中学生になるころには、彼女はいわゆる学校カーストの上位のグループに所属していて接点ゼロでした。
おとなになってからNちゃんに「なんであんなに優しかったの」と聞いたことがあるのですが、「んー、わかんないけどなんかほっとけなかった!」と笑いながら答えてくれて「この人には恩があるベスト100」のランキングをめちゃくちゃあげてきました。
Nちゃんは昔からそういう人でした。
クラブに連れてってくれたり(ひとりでいけません)おうちに泊めてくれたり、今でもなにかと世話を焼いてくれるNちゃん。最新だと寝ゲロの処理をさせてるんですけど、土下座と千円で許してもらえました。懐が広すぎますね。
そんなNちゃんと、昨日遊んできました。
無職のメリットは会いたい時にすぐ会えるの一点くらいなので、Nちゃんの住む町まで呼ばれて飛び出たかったのですが、無職のデメリットである金の無さ故に、Nちゃんがわたしの地元まで遊びに来てくれました。
ちなみにわたしは無職ですが友人の大半が結構固い仕事についています。もちろんNちゃんも勤労の戦士です。明日はお仕事なので十六時で解散という健全なスケジュールです。
美味しいカレー屋さんでランチして、一日中車で雑貨屋さんを巡り、お茶をしました。 カレーは美味しいわ雑貨屋さんは全部いい匂いだわ、マカロンはさくさくだわ最高の一日でした。
わたしたちが育った町は、田舎にしては大きいけどやっぱり田舎で、セブンイレブンは全然進出してこなくて(最近立て続けに三店舗くらい出店してきました)土日に図書館に行くと絶対に知り合いに会うし、同じ校区内でも自転車では遊びに行けない友達の家がある町でした。
集団登校中に使用済みコンドームが路上に落ちていたのを見てからあまりその町が好きではありませんが、楽しい思い出はたくさんあります。
Nちゃんと遊んでいるとたまに当時のことを思い出しノスタルジックにな気分になることがあります。でもお酒を飲むと今の方が楽しい~~~~~大人サイコ~~~~~~~!!!!コンドームはゴミ箱に捨てろクソ~~~~~~!!!となります。
いつだって昔より今の方が楽しい幸せだと思えるように生きていきたい。
家路に就くNちゃんを見送りながらそう思いました。
ちなみに帰り際「明日休みだったっけ?」と質問して結構怒らせました。おわり
健康な女の子はこんなこと考えないブログ
普段の生活の中で「ああ、死んでしまうかも」と思うことがすごく多かった時期があります。
その頃のわたしは親の運転する車が大きなトラックとすれ違うたび、「あの車対向車線から飛び込んでくるんじゃなかろうか」とか、すれ違った後も「トラックのホイールが外れてこちらに飛んでくるんじゃ?」など、僅か数秒の間に二種類の死のパターンを考えるような女の子でした。家の鍵が施錠されているかどうか、何度も何度も確かめてから眠りについていました。
家の鍵を閉め忘れたかもという疑念をもって眠りについた日は、強盗に殺される夢もみました。十七歳のときでした。
九歳くらいから、「わたしはみんなと違う」という選民意識があって、パーフェクトな自分の悪口なんて誰も言わないものだと思って暮らしていました。
そこには、確かにわたしだけの楽園がありましたが、成長と共に平等だった人間関係の中に男女の仲や先輩後輩の関係といった高低差が生まれ、いつのころからかその選民意識は元来の自分への自信ではなくなり、尊大な自意識という形でわたしをなぶりました。肥大化した自意識はいつでもわたしの足を引っ張り、おしゃれをすれば誰かに笑われるものだと考えながら中学時代を過ごし、十七歳になるころにはありもしない死に方におびえる日々となったのです。
こういった当時の思考や行動を思い返すと、明らかに病的だということが今はわかります。
当時はそういった頭の中のことを誰かに話したり文章にしたりというアウトプットの方法を持たなかったため、自分を客観的に見ることが本当にできなかったのだなあと怖くなります。未だに興奮すると訳のわからない突飛な行動をとってしまうことがあるのですが、昔と違いそれをいなしてくれる友人に感謝をできるようなったので少しは客観性が成長していると思いたいし、こうやって文章を書くことで少しづつでも理想である健康な女の子になっていければと考えています。
理想の女子像は、今も昔もラムちゃんです。